情報を出していない所は存在していないも一緒(詳細編)


1960年代、70年代は『情報』としては『クチコミ』の時代だった。
まだ車が高級品だった時代。行動範囲は限られているし、大型スーパーもなかった。

この時はお客様に『選択の余地』は少ない。
必要なものは歩いて行ける、もしくは自転車で行ける範囲でさがすしかない。

困った事があったら、近所で誰かに聞きその人から教わった情報(場合によっては数人から聞いた情報)で判断し、物を購入した。

新聞に載っている情報は都会の物が中心だろうし、ラジオからいくら魅力的な情報が流れてきても、手に入れられないんだから【情報として意味がない】。

結局身近な範囲で商品を選択するしかないわけだから、『いい物をつくれば』『情報(クチコミ)が広がり売れる』時代だった。

80年代になると少し変わって。『テレビ・情報紙』が一般化し、ダイレクトメール、チラシ、等、「媒体」による情報の伝達が発展した。

大型スーパーもこの辺りから台頭し来た。
大手は【資本力】をつかって、テレビやラジオ、印刷物を作成し、『情報』を届けた。

小売店はこの最初の『情報合戦』に苦戦した。

『情報』の面からだけいえば、『安い』ということだって、伝わらなければそれほど怖くない。
伝わるからこそ、そこに『選択』が生まれる。

『選択の余地』の幅が広がり【情報も意味のある】物になってきて、お客様の『消費の質』が変化してきた。

しかしながら、テレビや雑紙から流れる洗剤、スナック菓子、等の日用雑貨を除く「都会の商品」の大多数は日常の行動範囲の中には少なく、特に飲食やファッションは「都会の物」だった。

【情報が意味のある物になってきたと】は言え、100%意味のある物ではなかった。

まだ、小売店に抗う術はあった。
(テレビから流れるCMは「あこがれ」は生むけれど「お金」はなかなか生んでくれなかったわけです。)

さらに、この時代も「資本」という限度はあった。
だから、出せる「情報」の量に限界があった。テレビにCMを打つのも、雑紙に広告を載せるのも、印刷物を印刷するのだって、お金がかかった。

90年代。しかも後半、ここからがらっと変わる。

「インターネット」の登場。

インターネットの通販はどんな商品だって手に入れられると
言う事を意味する。【全ての情報が意味のある】物になってきた。

また、資本の壁も低くした。HPをつくるのは多少お金がかかるが、それだって、多くを望まなければ80年代のチラシを一回作る印刷費用ぐらいでできる。

維持費は月数百円〜1500円程度。

印刷物のコストも劇的に下がった。

それ以外にもフェイスブック、YOUTUBE始め、「無料」で使える物が沢山ある。

こぞってみんながそれを使い出した。

その結果どうなったかと言うと、『情報』の量が爆発的に増えた。

実際、今は人間の処理能力を超えている情報がでている(総務省の発表)

http://www.soumu.go.jp/main_content/000030650.pdf

つまり、『情報』を【出しても伝わらない状況】。
なのに『情報』をださなかったらどうなるか、、、

今の時代で『情報』をだしていないところは『いない』も同じ。
ということになる。

だからこそ、小さいところほど情報を出さなければいけないと思う。

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